April 09, 2017

29th Grammy Awards(1987年)での一齣。Pops爺はどうしても舞台中央でのたうちまわるBig Jay McNeelyに反応。

Guitar & VocalのB.B KingとAlbert KingにRobert Cray。歌姫がKokoa TaylorとEtta James。さらにWillie DixonとJunior Wells。
この顔ぶれに Ry Cooderも目立たないながらも とても楽しそうです。

日本では サックス奏者といえば 何と言ってもSam "The Man" Taylorということになりますが...
尾藤イサオさんやほりまさゆきが出演なさったザ・ヒットパレードで 井上忠夫さんが奮闘していらしたのをかろうじて記憶。

そして 当時のBlues界の重鎮であらせられる日暮泰文さんや鈴木啓志さんの薫陶を受けるまでは Blues界の重鎮といえば Willie Dixon御大だと思い込んでおりました。
なにしろ British Invasion時代のRolling StonesからPsychedelic Music時代のDoorsやCreamに至るまで 挙ってWillie Dixon御大の楽曲を取り上げていたのですから。
私のような若輩者はWillie Dixon御大こそ Blues界の最重要人物と認識していた次第。

Rolling Stones / I Just Want To Make Love To You

Rolling Stones / Little Red Rooster

Doors / Back Door Man

Cream / Spoonful

Led Zeppelin / Bring it on Home

Led Zeppelin-I Can't Quit You Babe

他にもCaptain Beffheart / Diddy Wah Diddy, Doors / Close To You, Jeff Beck / You Shook Meなどなど。

ということでこの人達のこの曲サイケ時代(あ行からな行)の映像へのリンクを更新しておきました。

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January 22, 2017

往年の洋楽・プロレス愛好家からみたSMAP解散劇

巷では 国民的アイドルSMAPの理不尽な不条理解散で喧しい限り。
嘗て洋楽愛好家も数々の短兵急な奇妙奇天烈解散劇に遭遇してきました。
例えば Walker Brothers。
サイケ時代の到来を察知し1967年に解散。
ところが日本では アイドルとして根強い人気があったことから 翌1968年 掟破りの来日公演敢行という蛮行に及ぶ結果と。
アイドルから逸脱し高級化したBeatles以降の新手アイドルグループの発掘・移行を目論み Walker Brothersに白羽の矢を立てていた「ミュージック・ライフ」誌の意向と星加ルミ子さんの威光を半ば呆れながらも強く感じました。

さらに1968年 サイケ時代の到来の真っ只中 Erick Burdon & Animalsが正に旬のSummer of Love(Monterey Pop Fes.出演組)の雄として来日。
私も大いに期待したのですが 東京公演の前 その筋の人に脅されたとやらで急遽帰国してしまい Groupは解散という悲惨な結末。
結果的に 欧米諸国に 1966年「Beatlesを撃破したPhilippine」同様 「日本は怖い国」という噂が広がったのか それとも興行主が「Summer of Loveは面倒くさい」と敬遠したのか Jimi HendrixやThe WhoやByrdsやJanis JoplinやJefferson AirplaneといったMonterey組の来日は実現しませんでした。
そういえばPaul Simonでさえ 初来日は1974年とのこと。(Simon & Garfunkelは1982年)

Ericは その後 熱りがようやく冷めた1983年まで来日していないような気がしますが Andy SummersはPoliceで来日。

そんな氷河期を経て 1971年4月 とうとうFreeが本格的なBritish Rock Groupとして初めて日本に。
(1970年にJohn Mayall(with Larry Taylor, Harvey Mandel)やArrivalの来日公演がありましたが...)
想像以上の音圧に圧倒され その後の展開を期待していたのですが 次に訪れた豪州であっさり解散。大変驚きました。
その後 Paul Rodgersが清水マチさんと結婚したとの話が伝わってきた時には 私の周りの口さがない連中は GSの追っかけやグルーピー談義で盛り上がっていました。

それはともかく 日本の国民的アイドルSMAPのご先祖は スリーファンキーズや元祖ジャニーズやフォーリーブスではなく 音楽的素養の有無はさておき クレージー・キャッツやドリフターズのような気がします。
もっとも クレージーやドリフは正式には解散していないような気もするのですが...
キムタクや中居くんはともかく 他の三人は主役にこだわることなく 犬塚弘さんや谷啓さんやいかりや長介さんのような名脇役を目指すほうが良いように思うのですが...
さもなくば プロレスのように ジャイアント馬場の新日本プロレス対アントニオ猪木の全日本プロレスのような骨肉の争いを望みたいところです。
さしずめ 「キムタク」が馬場で「中居くん」が猪木。そして「ゴローちゃん」は坂口征二 「つよぽん」が大木金太郎で 「慎吾ちゃん」には長州力を期待。

ジャニーズに関して 下衆な爺の興味は「ジャニー喜多川さんの少年愛が如何にして形成されたのか」ということに尽きます。
ご両親との関係やお姉様のメリーさんはどの程度まで関与しているかなど お下劣な想像が膨らむばかり。

ということでこの人達のこの曲ビート・グループの映像へのリンクを更新しておきました。

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December 26, 2016

御年74歳(1942年3月25日生)のAretha Franklin姐さん 2016年感謝祭(11月24日)のNFL試合前に国歌大熱唱。

凄いのはわかりますが 4分35秒は少々長いのではないでしょうか...
何れにせよ 老いては益々壮んなるべし。

さらに御年77歳(1939年11月26日生)喜寿のTina Turner大姉御の勇姿。(76歳当時)

翻って 我が国のR&B/Soulの女王と称される御年66歳(1950年4月10日生)和田アキ子嬢の御近影。

洋楽愛好家が客観的に見ると 紅白落選も応分の沙汰という印象。
捲土重来を期し 精進を重ね 是非とも紅白の舞台へ復帰していただきたいものです。
尤も 来年直ぐの復帰は勘弁していただきたいです。
5年程度経ってからなら 許容範囲ではないかと思います。
Millie Jackson姉貴(72歳) Patti LaBelle姉貴(72歳)に比べても...

ということでこの人達のこの曲60年代後半の映像へのリンクを更新しておきました。

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November 30, 2016

悲恋のワルツ(I Don't Want To Be Hurt Anymore) / Nat King Cole 日本語盤

1965年1月 Sam Cookeの死(1964年12月11日没)に続く訃報(1965年2月15日没)の直前に発売されたSingle盤『ラヴ』のB面。
私の記憶では『ラヴ』は大ヒットしたこともあり 我が家にもこのSingle盤(CR-1157)が鎮座。
そして私が気に入ったのは B面の『悲恋のワルツ』ということに。
1965年の歌謡界を見ても『赤いグラス』や『知りたくないの』の歌唱は Nat King Co;eに触発された部分があるのかもしれません。

美空ひばりさんも『ラヴ』はカバーしていらっしゃいます。

ラヴ(LOVE)
カチート(Cachito)
枯葉(Autumn Leaves)

そして 巻き舌唱法の元祖かもしれないConnie Francisさん。

ヴァケイション(Vacation)
かわいいベイビー(Pretty Little Baby)
渚のデイト(Follow The Boys)
大人になりたい(Too Many Rules)
夜のデイト(It Happened Last Night)

さらに Little Peggy MarchさんになるとGraciela SusanaさんやJEROさんやChris Hartさんの先駆者というところ。

愛して愛して愛しちゃったのよ
いつでも夢を (Itsudemo Yumeo)

そういえば 伊国の歌姫Minaさんの歌唱は 松任谷由実さんからMr.Childrenの桜井和寿さんなどまで 和製ポップスの世界で連綿と連なる鼻濁音排除歌唱のお手本かもしれません。

「それのひとつひとつのもの『蛾』 いつわりのプレゼント」(44秒 1分23秒辺り)

また 山瀬まみさんなど所謂舌足らずのひな型とでも申すべきSylvie Vartanさん。

これはフランソワーズ・モレシャンさんを起点に アグネス・チャンさんやゾマホン・ルフィンさんや金萬福さんやボビー・オロゴンさんなどなど いつまで経っても上手くならぬ日本語を売りにするタレントさんのお手本のような日本語ですね。
ということでこの人達のこの曲60年代前半の映像へのリンクを更新しておきました。

1998年頃からWeb Siteを運営していたのですが 今般 パソコン通信サービスでお馴染みのニフティ(@homepage)が 衰退に伴い@niftyホームページサービス ミニ( http://eopera.d.dooo.jp/index.html )に移行することになりました。
当時 データ量に限りがあったため プロバイダーを2社使って運営していたこともあり Linkが自動的に移行できぬ部分がそこかしこに。
折を見て移行作業を行うつもりですので ご容赦願います。

昔の話になりますが 森進一さんがデビューした頃 ダミ声と称されたその声は Pops小僧の感覚からすると一節太郎さんというよりAdamoさんみたいだと思いました。

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June 11, 2016

This Guy's In Love With You(邦題 ディス・ガイ)/ Herb Alpert(A&M Recordsの社長さん)

1968年 辣腕社長の酔狂な手慰みが あれよあれよという間にBillboard Hot 100の頂点に。
Burt Bacharach & Hal Davidの作品。

当時のA&M Recordsは Tijuana Brasを筆頭に Sergio Mendes & Brasil '66SandpipersBoyce and Hartが大活躍。
さらに傘下のCTIにもWes MontgomeryAntonio Carlos JobimTamba 4などなど 飛ぶ鳥を落とす勢い。

そんなこともあり 少々素人くさい歌もご愛嬌との受け止め方が一般的でした。
楽曲自体の評価は高く 多くの人々により今日まで歌い継がれております。

その後も Herb Alpert御大は「Rise」や「Steppin' Out」といったAlbumを世に送り 存在感を示しております。

そういえCTIの系列Kudu labelのEsther Phillipsも愛聴盤でした。

ということでこの人達のこの曲60年代後半の映像へのリンクを更新しておきました。

無事 「Roger Nichols & The Small Circle Of Friends」に触れることなくこの項を終えることができました。
「ソフトロック??」通の皆さんのように奥底まで掘り下げずとも 本流の上記Artistsを聴けば A&Mの凄さや魅力は十分伝わると思います。

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May 07, 2016

Viva Las Vegas / Dead Kennedys。 Presleyも吃驚仰天。

バロン未来世紀ブラジルでお馴染みのTerry Gilliam監督の「ラスベガスをやっつけろ」より。

もちろんElvis Presleyの「ラスベガス万才」のCoverです。

他にもNina Hagenはじめ 多くの方々のCoverが存在するようです。(例示としては 少々不適切だったかも...)

いずれにせよ British Invasion到来前後の所謂ポピュラー音楽界では Radio(S盤アワーや9500万人のポピュラー・リクエストなどなど)から 映画音楽が盛んに流れておりました。
恥ずかしながら 私のElvis体験もブルー・ハワイ(1961年)やラスベガス万才(1964年)やアカプルコの海(1964年)辺りだったのです。
私の周りではアイドルを探せビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!が持て囃されておりましたが...
他にも 映画の主題歌として ミッチ・ミラー合唱団の戦場にかける(1957年)史上最大の作戦(1962)大脱走マーチ(1963年)に Brothers Fourの遥かなるアラモ(1960年)北京の55日(1963年)なども流行りました。
幼少期だったこともあり ミッチ・ミラー合唱団は勇壮な音楽と心躍らせたものですが バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の歌の祭典を見知った今となっては 随分とこじんまりとちまちました合唱としか思えないのが少し残念です。

ということでこの人達のこの曲60年代前半の映像へのリンクを更新しておきました。

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April 07, 2016

Joe Cockerにたっぷりの水を注ぎ 米糠を入れて火にかけアク抜きをすれば 旬の若竹煮ならぬPhil Collinsの出来上がりかも...

Singing Drummerの頂点に君臨。
GenesisからPeter Gabrielが抜けた後 Phil CollinsがVocalistとして脚光を浴びることになるとは夢にも思いませんでした。
さらに その後Peter Gabrielも Costume Playの呪縛から開放され 好品質のSolo Albumを次々に発表するという展開にも驚かされました。

球体の複合体のような初期のCGキャラクターと見紛うばかりの球形の複合体たるChristina Aguileraの存在感に圧倒されますが Pharrell WilliamsのDrumming Singer振りにも注目です。

Singing Drummerと言えば 日本のGroup SoundsでもBeatlesのRingo Starrの影響か 寺内タケシとバニーズの井上正さんカーナビーツのアイ高野さんワイルド・ワンズの植田芳暁さんゴールデン・カップスのマモル・マヌーさんなどなど意外なほど大勢いらっしゃいました。
その後も稲垣潤一さんC-C-Bの笠浩二くんなどが登場。 もしかすると 石原裕次郎さんの影響もあるのかもしれませんね。

洋楽では MonkeesのMickey DolenzThe BandのLevon Helmとか KISSのPeter CrissQueenのRoger TaylorEaglesのDon Henleyなどが...

Mel Torme御大は 歌うのと叩くのを一緒にはなさらなかったのでしょうか?
当時のマイクの性能などの制約に起因するのでしょうか??

ということでこの人達のこの曲GS等日本ものの映像へのリンクを更新しておきました。

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March 09, 2016

Escalator Over The Hill Rehearsals。John McLaughlinくんとJack BruceくんがCarla Bley先生のLessonを受けているような光景。

特にお行儀良くつま先を揃えて畏まるJack Bruceくんがいじらしいです。

そしてRehearsalが実を結び 本番ではお得意の歌を披露することもあって溌剌とした演奏を披露。( Rawalpindi Blues )。
喧しいTony WilliamsGinger BakerBilly Cobhamとは異なり 外連味のないPaul Motian(Bill Evans Trioでお馴染み)がDrumsを担当していることもあり 見事な仕上がりとなりました。

ただ Super SessionThe Live Adventuresなどと比べると 当時 Carla Bley先生はJazz畑ではそれなりに知られておりましたが 先進的且つ難解な作風故に Rock畑では少々煙たがられていた存在で 夢の競演というほどの話題性は乏しかったと記憶。

やはり夢の競演といえば 何と言っても赤軍合唱団とレニングラード・カウボーイズの競演でしょう。

近年のものでは Neil Young & Puss N Boots, Don Was & Detroit Cobras, Yoko Ono & Lou Reed, Arthur Brown & Kula Shaker辺りに反応してしまいました。

ということでこの人達のこの曲90年代以降の映像へのリンクを更新しておきました。

このところあざといDuetsものが多いように思います。
とは思いつつも ついつい反応してしまうのが情けないですね。

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February 07, 2016

Ray, Goodman & Brown / Capitol Theatre Concert(1980年10月24日)

前身のMomentsは Delfonicsとともに流麗でしなやかなVocal Groupでした。
そして1980年の時点では Michael JacksonやPrinceといった新興勢力の台頭の中で Ray, Goodman & Brownとして往年の宏池会・大平派三羽烏の伊東正義さん・斎藤邦吉さん・佐々木義武さんのように保守本流の存在感を示しました。
昔 鈴木啓志さんが確かミュージック・マガジンで「どうも4人目のVocalistがいるような気がする」と書いていらしたのを思い出しました。
Inside Of YouやSpecial LadyにMoments時代のLove On A Two Way Streetの好演はもちろんのこと 明らかにMichael Jacksonとは異なる客層のOff The Wallに対する反応 それを見て取って炊きつける百戦錬磨の3人の手練手管が愉快です。
最後のMy Prayerは絶品です。
当時 私が好んで聞いていたReggaeのとり散らかったVocal Trioとは比べ物にならないほど洗練された興行の光景に脱帽。

ただ3人ということもあり ManhattansWhispersに比べると 振付に今ひとつ艶やかさに欠ける感じは否めませんが...

ということでこの人達のこの曲ピストルズ前後 の映像へのリンクを更新しておきました。

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January 08, 2016

Moonlight Drive / Doors

1967年10月発売のStrange Daysより。

はちみつぱいの「月夜のドライヴ」は この曲に影響を受けたのでしょうか...

Pink FloydのThe Piper at the Gates of Dawn(邦題:夜明けの口笛吹き 1967年8月発売)にも Interstellar Overdrive(星空のドライヴ)というのもありましたが あまり関連はなさそうですね。

そして1967年は Beatlesが一つの到達点というべきSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(1967年6月)を発表した年で 私もお兄ちゃんの購入してきたAlbumを繰りかえし聞いていました。
またJoan MiroやRomeo And JulietのOlivia Hussey姫の方が印象に残った宇宙中継特別番組「OUR WORLD~われらの世界~」(1967年6月25日)に出演するなどして Pops業界の頂点に君臨していた時期。
ただ「OUR WORLD~われらの世界~」のBeatlesは Jefferson AirplaneやJanis JoplinやJimi Hendrix Experienceなどが登場したMonterey Pop Festival(1967年6月16日から18日まで)の衝撃には遠く及びませんでした。
そもそも1966年12月のFresh Creamと1967年11月のDisraeli Gearsで脚光を浴びたCreamのEric ClaptonのGuitarやJohn BruceのVocalとBassやGinger BakerのDrums演奏に比べ George,Paul,Ringoの演奏手法は明らかに旧態依然との印象を拭えませんでした。(Johnは???)
曲にしても Western Union / Five AmericansI Had Too Much To Dream / Electric PrunesA Whiter Shade Of Pale / Procol Harumなどの佳曲揃いのなかで 1967年11月のHello, Goodbyeや1968年3月のLady Madonnaなど 愚曲・駄曲が目立ちます。 White Album(1968年11月)のOb-La-Di, Ob-La-Daも酷かったですね。
Magical Mystery Tour(1967年12月放映)に至っては 慢心・増長・驕りすら窺われ 紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門の御大尽遊びを思わせる乱痴気騒ぎとしか見えませんでした。この遊興には「祇園一力茶屋の段」の由良助のような深謀遠慮はまったく感じませんでした。
そんなこともあり 私はSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを最後に Beatlesは時代に追いつかれたと判断 ドクター苫米地のお手をわずらわせることなく 信者からはあっさりと離脱。
以後は一般的なPop Groupとして分類整理し それなりに温かく接するようになりました。
そういえば Beatles関連銘柄のGrape Fruitの時代錯誤のサイケ感覚も痛々しかったと記憶。

ということでこの人達のこの曲サイケ時代(は行からら行)の映像へのリンクを更新しておきました。

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